なにやら堀江さんの記事を読んでいて気になったので書いてみる。
まず論旨を確認しておくが、
歩行が困難なりで車椅子を必要としている人に対して
ある子どもがプルタブをせっせと集めて車椅子が出来るように頑張っていると。
それに対して、その子供の父親が
ボランティア活動は大事であるがプルタブを集めるのに時間をかけるのは無駄であり、ボランティア精神を息子が持っているのならお父さんが寄付してやるから、その時間を他の勉強やら大事な事に使いなさい
となる。
これに対して堀江さんは、
プルタブを集めるプロセスを通じてしか障害者を助ける気持ちを持てないということは無いだろう。普段からそういう気持ちを持ち続けていればいいことだ。それは単なる精神論であり、そのプロセスを通じてしかそれが理解できないということであれば、それは理解力の不足としかいいようがない。
で、それは時間は有限だから、そういう必要があると。
その通りですと言いたくなる自分がいるわけですが。
プルタブを拾う事は悪いことではありません。良い事です。
でも、子どもがそれに一等時間をかけるのは悪いことだと思います。
彼が他の勉強をして、もっと賢くなって、もしお金持ちになったら
そのお金で車椅子を一杯作ってあげればいいのです。
「障害者を助ける気持ち」を持って、なんらかの方法で助けるようにすればいいので
その方法はプルタブを集めるような非効率的な事ではなく、
もっと効率的な方法を模索するように時間を費やした方がいいと思います。
確かに今やらないと、今困っている人は救えないだろうけれども
それは今大いに助けられる人(その子供の父親)に任せてもいいわけで
今助ける力が弱い人(その子供)はまず助ける力を大きくすることを念頭におくべきだと思います。
プルタブを集めるのは、自分の身の回りに済ませ負荷の掛からない範囲で実施すべきだと思います。
自分もペットボトルのキャップは集めて、リサイクルに出しています。
それは自分の生活に無理なく出来ているからそれを取り入れているのです。
隣近所の人を説得して、出すように仕向けるような事をするつもりはありません。
たまたま話し合う機会があり、もし協力的な人であれば「出してはいかがですか?」と言うこともあるかもしれません。
ボランティア精神を忘れているわけではないので、そう言う事を拒否するわけではありません。
そしてボランティア精神を持っているわけなので、早く沢山のお金を稼ぎたいのです。
もちろんそれはまっとうな方法であって、人道に反してはいけないと思っています。
でも、それは最悪の場合、悪党から金を巻き上げるような方法でも構わないと思っています。
例えばねずみ小僧のようにね。
それが私にとって一番得意で、非常に効率が良ければの話ですが。
(実際には命の危険の方が大きく、するつもりはありませんが)
で、そのお金を困っている人に還元したいと思っているのです。
それをプロセスを重視していないとつつかれるのは、心外な事なのです。
というより、それを「重視」していると表すべきなのか甚だ疑問になります。
背の高い木の上にある出っ張った枝を切るのに
よじ登ってのこぎりにて切ろうとするのか
高枝切りバサミで切ろうとするのか
どちらにしますか?
まあ、電話で庭師さん呼んじゃいますけど。
木を切るより、庭師さんを呼ぶお金を稼ぐ方が得意だと思っているので。
この「枝を切る」と言う結果に対して
プロセスを重視したとしてもよじ登るつもりは毛頭ありません。
それだとまるで自己鍛錬になってしまって、手段が目的となるからです。
せいぜい高枝切りバサミ使うくらいです。
そうじゃないと、出っ張った枝を不快に思うお隣さんを
イチ早くなだめることはできないからです。
登れるようになるより先に、お隣さんの堪忍袋の緒が先に切れます。
そういう意味でも、時間は有限なのです。命が云々ではなく。
現代医学がどうたらも横においてしまってもいいのです。
(それに事故で死ぬか、殺されるか、もしくは長く生き過ぎて発狂して自分で死ぬか。)
我慢の限界はどこかで訪れるし、もし永遠に待てるのならそれは気にするほどのないことで
どちらかというと最早やる必要のないことになるのです。
さて、明日のタスクをチェックして、もう寝よう。
最後に
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